こんにちは。
くれたけ心理相談室 心理カウンセラーの、國木晋之介です。 

先日、久しぶりに少し人に嫉妬した出来事がありました。

とある21歳のタレントさんが私の好きなYouTubeチャンネルにゲスト出演していたのですが、とても言語化能力が高く、話も抜群に面白かった。

(普段はあまり年齢とか気にしないようにしているのですが)「21歳でこれかぁ、とても自立しているしすごいなぁ…。」と感じちゃいました。

今日は、人との比較について書いてみようと思います。


しばらく前の私は、当たり前のように自分と人とを比べていました。

Twitterで流れてくる、同業のすごく成功している人。似たような仕事をしている、年下の優秀な人…。

そういった人たちと自分を比べては、「自分には何もない」と落ち込んでいたように思います。

自分なりに対策を調べたり試したりしていたのですが、どれもイマイチピンときませんでした。


ただあるとき急に、「いや、他人と自分とではあまりにも違うゲームをしているな。比べても仕方ないな」と思えました。

もう誰か忘れてしまいましたが、とてつもないお金持ちの家に生まれて様々な英才教育を受けて育った人を見た時だった気がします。

その人を見た時、「あぁ、あまりにも前提条件が違い過ぎる。こんな人たちと自分を比べても仕方ない」と思ったのでした。

その人の例はわかりやすかったのですが、きっとそれ以外の他人とも目に見えない前提条件の差がたくさんあるのだと思います。

持って生まれた才能、かけられた愛情、してきた体験…。どちらが良いとかは一旦置いておいて、きっと結果を比較する意味がないほどに種類も量も違っています。


別の観点から言うと、スコアの付け方(幸せの配点)も人によって様々です。

スーパーマリオとテトリスのスコアを比べても意味がないのと同じように、幸せは単純には比べられないものなのだと思います。


気づいてみれば当然のことなのですが、私がつい比べてしまっていたのは、前提条件の差が見えづらいことに加えて、「社会が比べてきたから」というのが大いにあるように思います。

学生時代であればテストの点数や順位、偏差値。社会人になってからは持っているスキルや特性で他の人と比べられます。

「市場価値」とか「エンプロイアビリティ」とか、言わんとすることはわかるのですが、あまり好きな言葉ではありません。

もちろん現実問題として生きていく上で他人と比較されることは避けられないと思うのですが、別に自分まで人の基準で自分と他人とを比べる必要はないように思います。


そう気づいて以降は、「私の人生のハイスコアを目指そう」と考えてみるようにしています。

冒頭で書いたタレントに私はなれませんが、彼女も僕にはなれません。

私は何者でもありませんが、何者も私にはなれません。

私は私なりに懸命に、より自分の納得がいく人生を模索してみよう。そんなふうに思っています。

今回の記事が、少しでもあなたが比較の苦しみを手放す手助けになれば嬉しいです。


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ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

投稿者プロフィール

國木 晋之介
メーカーにてAI関連製品の研究開発に携わった後、IT業界に転職。
仕事の傍らで産業カウンセラーの資格を取得し、心理支援の分野へ転向。
現在は心理カウンセラーとして都内を中心に活動している。

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