こんにちは。
くれたけ心理相談室 心理カウンセラーの、國木 晋之介です。 

今日は、「許せる範囲で許してみると、少し楽に生きられるかも」という話を書いてみようと思います。

SNSやメディアを見ていると、毎日のように誰かが叩かれているところを目にします。

"間違っている"人が痛い目に遭うツイートがバズっているのもよく流れてきて、「なんだか窮屈な世の中だなぁ」と感じます。


人は元来、他人を罰することに快感を覚えるそうです。

部下や子どもへの叱責、ネットで誰かを叩くこと、叩いている投稿にいいねを押すこと…

「正義」のつもりでやっているその行動は、もしかしたら自分の欲求を満たすためのものかもしれません。

(現にいま私も恥ずかしながら、そういった欲求に溺れている人に苦言を呈することにある種の快感を覚えています。さもしいですね。)


直接の被害者にこれを言うつもりはないのですが、「もうちょっと優しくしてあげても良いじゃない」と思います。

怒りが湧く気持ちもわかるのですが、攻撃したり吊し上げる以外にも伝え方はあるはずです。むしろ、優しく諭した方が聞き入れてもらえることは多いように思います。

そういう意味では、何かを伝えたり結果を変えることではなく、罰して快感を得ることが目的になっていたら要注意かもしれません。

誰だって何もかも上手くやれるわけじゃないですし、もっと言えば、その人と同じ遺伝子を持って生まれてその人と同じ環境で育っていたら、その人と同じ行動をとっていたはずです。


そういうふうに(無理のない範囲で)人に優しくしておいた方が、楽に生きられるように思います。

「まぁそういうこともあるか」とか、「まぁそういう人もいるか」とか。

そうしておかないと、何かに挑戦したいときに人の目が気になりすぎてしまったり、上手くやれなかったときに自分を責めすぎてしまう気がします。

他人に向けた厳しさが、自分にも牙を剥くとでも言いましょうか。

逆に他人に向けた寛大さは、優しい空気感となって自分を包み込んでくれるように思います。


とはいえ「許す」って結構大変なことです。

本当に許せない時は許さない方が良いと思いますし、私も腹が立っちゃうことはよくあるんですけどね。

「罰することが目的になっていないか?」という、自分への戒めも込めたまとめでした。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

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投稿者プロフィール

國木 晋之介くれたけ心理相談室 心理カウンセラー
メーカーやIT業界での経験を経て、現在は人の想いに耳を傾けることを仕事にしています。

カウンセリングでは、安心してなんでも話せる時間を大切にしています。

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